「当然」の諦め方

「当然」を諦めないといけない。
他の人ならごく簡単に互いを大切にできるのに、
縁があって隣にいるパートナーとだとそれが出来ない。

例えば、気持ちの分からない、感情交流ができない関係性で、相手の障害について理解していくと
「目が見えない人に見えないことを責めるのと一緒ですよ。」
という話が出てくる。

頭ではそうだと分かっても、実際には整理が困難で、目が見えないのよりずっと傷つく。
理由はいま分かっていて説明できる範囲で言うと、きっと誰もがそういう風にできていないからだ。
「傷ついている」こと自体が分かってもらえないのだ。

目が見えない人がどしどし移動して、自分の大切なモノを壊してしまったとしても、傷ついている気持ち自体は共有できるだろう。

気持ちが見えない人だと傷ついている気持ち自体が、傷ついている事実が分かってもらえない。

それは高望みでも何でもなく、当然のこととして望める範囲のことだけれど、だからこそ諦め方が難しい。

「抱きしめて」と指示をだして抱きしめて貰って満足できるようになれればだいぶ前進はするだろうけれど、お金で物を買っているような気持ちの悪い感覚も同時に襲って来る。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする